ドクターマーチンの靴というと、黒や茶色で靴底に沿って黄色いステッチが縫い付けられているものが思い浮かぶ。
私は最近そのメーカーの靴を買った。それは甲も靴底も、黄色いはずのステッチまでもが黒くてまるでからすである。
前まで仕事で履いていた革靴がぼろぼろになって替えを探していたところ、これが使えそうだったので買い求めた。
仕事帰りのバスに乗っているまさに今も、その靴を履いている。
なぜドクターマーチンにしたか。丈夫らしいというのがまず理由のひとつである。
事実履き始めてすぐは革がとても固くて、つま先が曲がらず歩くのに難儀するほどだった。
最近は多少柔らかくなったが、革の厚み、縫製の糸の太さからして穴があいたり破けたりすることはなさそうである。
元々作業靴だったというのも頷けよう。前まで履いていた革靴には縫い目から破けて穴があいたものがあったし、
就活のころ履いていたものは靴底がべろんと剥がれたりしたので、丈夫なのは歓迎したい。
就活の話が出たので、ついでに話しておこう。就活というやつは大嫌いだった。
とりわけ、集団面接は最悪である。面接に行くと味気ない部屋に通されて、就活をする人は横に並べられる。
面接官が学生時代に努力したことを話せと言うので、順々に話す。ある集団面接で横に座っていた人は、
トンカツ屋でアルバイトをした経験を懸命になって話していた。私はそれ聞いていて情けなくなった。
他にもっと話すことはないのか……否、なくて当然なのである。一介の大学生にできることなどたかが知れている。
それなのに企業は学生を並べて競争を強いるから、学生の側は平凡な経験をみじめにも飾り立てて、
必死になってアピールしなければならない。学生の頃の経験ばかりではない。人生の全てを、かけがえのない平凡な経験を、
望んでもいないストーリーにパッケージして、比較の俎上に載せることを強いられる。私は自分が人売りに売られた奴隷で、
自分を買いにきた富豪に必死に媚を売っているような、絶望的な気分になった。
番が回ってきたとき、私は思いつかないと言って答えなかった。当然、次の選考に進むことはなかった。
革靴はそんな記憶に結びついているから、いい印象がなかった。
しかしこの靴(調べたところ、1461モノという名前がついている)は例外である。これは1461モノを買った第二の理由なのだけど、
これは「労働者の靴」なのである。洋服屋でスーツと一緒に買わされる退屈な「社会人の靴」ではない。
就活が社会人になるためのプロセスであるならば、社会人は最悪である。自分の人生を会社好みに飾り立てて、
頭を垂れて身売りしてなるのが社会人である。労働者はそうではない。労働者には誇りがある、矜持がある。
会社と対等になり、こととなれば武器をも取って戦うのが労働者である。私は尊大だから、
社会人になるのが我慢ならなかった。自分を労働者として扱ってくれそうな会社を選んだつもりだが、
スーツを着て社会人の靴を履いていると、なんだか自分が社会人になったように感じる。
1461モノはその気分を打ち破ってくれたのである。私は労働者なのだ。
私はこの靴が気に入っている。真っ黒な1461モノではなくて、いかにもドクターマーチンらしい、
黄色いステッチのブーツ(1460というのだそうだ)も欲しくなった。1460には1461モノのような遠慮がないから、
仕事には履いていけないだろう。しかし、私は1460を履いて、昔集団面接を受けさせられた会社に向かうことを考えてみる。
スーツを着た足元に黄色いステッチが輝いている。電車を降りて駅を出て、会社に向かってずんずん歩いていく。
耳にイヤホンを突っ込んで音楽も聴こう。ずんずん歩くうちにずんずん気持ちが大きくなる。
いつの間にか私の体まで大きくなって、会社に着く頃には、会社のビルが私の膝くらいの高さになっている。
それを黄色いステッチの巨大なブーツで蹴飛ばすと、会社は積み木のようにがらがら音を立てて崩れる。
そんなことがあったら、さぞ痛快だろうと思う。