フランツ・カフカ『変身』



○文庫本にして100ページもない短い小説である。短い小説を読んで感想を書こうというわけであるが、 それで思い出すのが学校で書かされる読書感想文のことである。楽に済まそうとして短い本を読もうとする人が多いが、 思うに短い本と感想が書きやすい本は重なるところが別に大きいわけではない。 それに気づかなかったある友人は感想文の題材に芥川の「蜘蛛の糸」を選び、 読んだものの何も書くことが思いつかず難儀したということだった。

○外交販売員として働き、父、母、妹のグレーテからなる家族を支えてきたグレーゴル・ザムザは、 ある日突然褐色の大きな虫に変身する。彼の家族は不気味な彼の姿を嫌悪しながらも、 グレーテが中心となって彼を世話し、部屋を下宿として貸すなどして苦しい生活を続ける。 しかし、潔癖な下宿人がグレーゴルを理由に下宿から出ていくと言い出したことをきっかけに、 家族はグレーゴルを支えることに耐えきれなくなる。父親に投げつけられた林檎で怪我を負い、 食事も摂らなくなったグレーゴルはやがて息絶える。グレーゴルの死体は手伝い女に片付けられ、 3人の家族はその後幸福な散策に出かける。グレーゴルが働けなくなってから3人は新しい仕事を始めていた。 グレーゴルが生きていた間3人は気づかなかったが、その仕事には明るい将来が約束されているという。

○この物語の主人公は誰であろうか。分量からいえばグレーゴルに関する記述が多いから、 単純にはグレーゴルが主人公に思える。そこで彼に感情移入して読むと、この物語は不条理で、救いがない。 何も悪いことをしていないのに自分は突然不気味な虫になってしまう。家族からも冷たい目で見られ、 ついには愛想を尽かされて自分の死を喜ばれる始末である。カフカが意図したのはそういう陰惨な物語であろうか。 もしそうなら彼はなかなか趣味が悪いということになるし、何より、 希望に溢れたような物語の結末の説明がつかないように思われる。グレーゴルの身に降りかかった悲劇を描きたいなら、 結末で冷酷な家族の姿にもっとフォーカスしてもよさそうなものである。

○私が思うに、この物語の主人公はグレーゴルを含む家族である。この家族は、 人間や社会がもつある側面のアレゴリーではないか。すなわち、我々は罪のない人の死を残酷にも望むことがあるのだ。 そしてそれは皮肉にも希望に繋がっている。カフカはそのことを肯定も否定もせず、ただ描いてみせたのである。

○この小説が書かれたのは1912年、第一次世界大戦の直前であるという。大戦は多くの死傷者を出したし、 生き残ったものの心身に取り返しのつかない傷を負った人も多かっただろう。 カフカの念頭にそういうことがあったかどうかはわからないが、 そうした傷病者がその家族や社会の負担になったことは想像に難くない。 彼らさえいなければ……そういう思いを抱いた人を非難することはできないのではないか。

○日本で高齢者の生活を支えるために支出される税金は、ここ数十年で数倍にも膨らんでいるという。 少なくなりつつある若い世代は、大きな負担を負ってそれを支えなければならない。 支えられる側にも、支える側にも罪はない。巨大な悲劇の虫はここにも存在するのである。 我々のグレーゴルが死に絶えたとき、残された人々は、残酷にもほっと胸を撫で下ろすことになるのだろうか。









2022/11/06

▲戻る
▲トップに戻る